2010年11月21日

スマナサーラ長老福岡講演会音声配信中!

先日福岡で行われたスマナサーラ長老の講演会の音声が、
日本テーラワーダ仏教協会のblog
Theravada Online ゴータミー精舎日記』にて配信されています。
人生の出来事の受け止め方(Dhammacast)
素晴らしい内容ですので、是非お聴きください!
posted by 管理人 at 06:46| Comment(1) | TrackBack(0) | スマナサーラ長老講演会

2010年05月18日

第五回スマナサーラ長老福岡講演会 

5月15日、福岡市の「アミカス」で、スマナサーラ長老の講演会がありました。
テーマは「日常生活で役に立つブッダの智慧」。
大変わかりやすく、ためになる御法話でした。

今回の参加者は100〜150名ほど。
長老の御法話はユーモアも効いていて、会場からはときどき楽しそうな笑い声もあがり、皆様、うなずきながら聴聞されていました。
瞑想の時間には、会場の皆様全員、試行錯誤しながら真剣に取り組んでいる様子が伝わってまいりました。
質疑応答の時間にも活発な質問が会場から出ました。

昼休みの時間にはSさんのご自宅で、スマナサーラ長老とデニヤーイェ長老への食事のお布施があり、今回講演の企画運営に携わったスタッフも一緒に食事させていただきました。
とてもおいしい料理の数々で、すばらしいひとときでした。


@「日常生活で役に立つブッダの智慧」 講演記録メモ
(この記録メモは、あとでノートを元に思い出して作成したものです。)


仏教には、二つの側面があります。

1、 この世でいかに成功をおさめて、幸せになるか。
2、 死後もいかに成功をおさめるか。

このように言うと、他の宗教も、この世の幸せやあの世の幸せを教えているので、同じではないかと言う人がいます。

しかし、仏教は、その教えの中身が違います。
他の宗教は、たいてい、神や他人に頼って助けてもらうことを説き、祈りや加持祈祷を説きますが、仏教はそうしたことは説きません。
他の多くの宗教は、死後はどうするのか、結局助けくれるだろうというだけで、何もしていないのです。

たとえば、西洋は民主主義を説きますが、その宗教には民主主義的な要素はありません。
タテの命令と服従の関係でできています。

しかし、仏教は、本当に革命的な、タテの支配をなくした世界です。
生命はいろいろ差があっても、平等だということを発見し、教える宗教なのです。
生きるとは何か、徹底して調べて、明らかにした教えなのです。


仏典の中で、お釈迦様は、当時インドに伝わっている神話を踏まえて、以下のような話をされました。

その神話では、神々が阿修羅と戦ったときに、帝釈天が兵士達に、もし戦いでくじけそうになったら、まず水天やいろんな神々の旗を見なさい、それが見つからなければ帝釈天の旗を見なさい、そうすれば勇気が出て阿修羅たちと戦えます、ということを言ったとされています。

しかし、お釈迦様はそのことを踏まえて、よく帝釈天はそんなことが言えるものだ、帝釈天も神々も本当はおびえっぱなしで、恐怖におびえている、貪瞋痴の汚れた心から免れていない、そのような神々にすがっても、あてにならない、ということを説かれました。

お釈迦様は、誰もあてにするなよ、ということを言われました。

助けてあげる、という話は、あんまり信用しない方がいい。
そう言ってくる宗教や権力者というのは、人をコントロールしようとしているかもしれません。

たとえば、ギリシャの国家財政が最近破綻しましたが、日本の財政赤字も、国民ひとりあたり六百三十万円ぐらいだと言います。
小学生でも、自分の持っているお小遣いの範囲でものを買おうという、ちゃんとした計算能力があるのに、政府は好き勝手にこんなに借金をつくってしまって、それをあんまり皆なんとも言わずどうにも今までできなかったわけです。
私たちはこういう世界に生きているのです。

こうした世界に対して、

・ 自分の理性で、自由に自分で考える。一人一人が考えてしっかり、自分自身でがんばらなくてはいけない。
・ 誰も何もやってくれませんよ。
・ 生命の法則は、一人でがんばるようになっている。

ということを、お釈迦様はお説きになられました。

実際に、皆さん、自分で食事して、栄養を消化して、生きているわけでしょう。
誰かが食べ物を口まで運んで、代わりに消化してくれるわけではないでしょう。
他の人が食べて、私の腹がふくれるということはないでしょう。

客観的に世の中を見る。
人の話に軽率にのってはならない。
世の中は、人を管理しようとしてくる人や宗教に満ちている。
だから、自分自身でしっかり考えて生きる。
そうしたことが大事なのです。

しっかりと世の中を見ると、それぞれの生命は自分で生きているのです。

ですから、それならば、優しい人、本当に相手のことを思いやる優しさのある人がすべきこととは、どう生きるべきかを教えてあげることなのです。
人を助けることではなく、その人自身が自分で助かるように、どうすれば成功するか、こうすれば失敗しないよ、ということを教えてあげることです。

それが仏教です。


一方、タテの社会はマインドコントロールで、人を管理しようとします。

ポイントは、管理は成り立たない、うまくいかない、ということです。

生命は、根本的には、自由であるはずであり、独立できるはずなのです。

インドの昔の首相のネールは、インドにどれぐらいの数の問題があるかと問われて、当時のインドの人口の数を答えました。
つまり、人間ならばトラブル、と言ったわけです。

これは立派な観察ですが、では、なぜ人間ならば問題が生じるのでしょうか?

それは、管理する、管理される、ということによって生じるのです。

生命の憲法、宇宙の法則は、生命は平等であるべき、ということです。

法則は破れないのです。
ただし、法則をいじることはできます。

たとえば、宇宙に行く場合、そのまま宇宙空間では人はすぐに死んでしまいますが、地上と同じ環境を人為的につくって、大変な努力をして、宇宙飛行士は宇宙に行って帰ってきます。
これは、法則を破ったわけではありませんが、法則をいじっているわけです。
しかし、それほど大変な努力をして法則をいじるわりには、あんまり何か人類にとって良いことがもたらされているわけではありませんし、大変な苦労です。
それはともかくとして、法則は大変な努力でいじることはできますが、破ることはできないのです。
法則を守れば、いとも簡単に、そんなに大変な努力をしなくても生きていけます。

法則を守ると、幸せが生れてきます。
法則を破ると、終わりです。
ですから、敵を慈しむというのも、生命の法則を守ることなのです。
生命の法則を守れば、幸せになります。
生命の法則を守ることは、生きる権利の獲得です。


ですから、自分で自分のことをしっかりやればいいのです。
それができないのは、心の弱みなのです。

心の弱みをなくす方法は、これから教える瞑想です。
(※ 午後の瞑想会のこと)
汚れたことを考えるから、心のエネルギーを浪費して、エンジンに馬力が出ない、
心のエネルギーが入ってこない状態になるのです。

心の汚れを落とす方法を、お釈迦様は教えました。
ですから、各自、がんばって、自分の心の汚れを落とすことを実践するのです。


また、人生の悩みの大半は、人間関係のトラブルから起こっています。

人の人権を守っているのか、独立した人格と認めているのか。
人を怒鳴ったりののしったりしていないか。
相手の人格や尊厳をつぶしていないか。

そうしたことがあると、人がそれで言うことを聞かなくなります。
自分が偉いと思ってしまって、人に罰を与えようとしても、必ず失敗します。

一人一人の生命には人権があって、自分の力で生きていると理解した上で、話すと、うまくいきます。

お釈迦様の智慧というのは、生命は平等であることを発見したということです。

お釈迦様には、いろんな数多くの前世があったとジャータカには描かれていますが、そうした菩薩の時代の中で、お釈迦様は決して嘘は言わなかったといいます。
嘘は言わない。
人に真実をかくすから、相手の人権を侵害することになるからです。

私たちも、慈悲に基づいて、生命の人権を大事にする、侵害しない。
嘘は言わない。
道徳を守る。
そうすれば、生命の法則を守っているのですから、必ずうまくいきます。


自分、仲間、全ての生命のためになるか。
これが道徳です。

自分のためになるか。
仲間のためになるか。
全ての生命のためになるか。

この三項目を全て満たすのが、道徳を守るということです。

道徳とは何か、この他に、いろいろ複雑な膨大な話をする必要はありません。

この判断基準三つを心に入れて生きてみてください。

人の尊厳を守る、自分の尊厳を守る。
生命が自由であって、かつ、自分は自分によって命令する。
管理しても、管理されても、結局はどの生命も自由なのです。

自分のことは自分でしなくてはならない。
一人一人が独立しています。

道徳とは、自分・周り・全ての生命の幸福を守ることです。
この道徳の三項目に照らして、その時その時に、行為を選んで生きるのです。


行為を選ぶ時に、もうひとつ大事なことがあります。
それは、感情でやらないこと、理性で行うことです。

感情が湧いてきたら、いったん停止することです。

ちょっと待ってみる。
貪瞋痴の感情が湧いてきたら、いったん止めてみる。
意志で止めてみるのです。

そうすると、能力があがっていきます。

生命の権利を守り、三つの道徳項目を守り、ちょっと停止してみる。
そうすると、100%の確率で成功します。

道徳の三原則を、日常生活にあてはめてみてください。


さらに、もうひとつ生きていく上での心がけを言うならば、借金はなるべくしないようにしてください。
投資はいいのですが、個人個人はなるべく借金をしてはなりません。
自分の生き方に必要なお金は、自分で持たなくてはなりません。

また、もうひとつ知っておくべきことがあります。
生きることはそんなにラクではないということです。

生きることはラクではありません。
すぐに不機嫌になってしまう。
何をしても、疲れるのです。
痛みで生きている。
すぐに不機嫌になるのです。

このポイントに気づいて、気をつけてください。
一分生きていると、56秒ぐらいは不機嫌になりやすいことが生じてくるのです。
ですから、これをやめて、にこにこと笑っていてください。
そうすれば、成功します。

笑顔で、微笑んで生きるのです。
これは、ムリにやらないと、できないのです。
修行と思って、微笑むことを心がけてください。


もう一つ、ポイントがあります。

仕事で、大きく落ち込んで、自殺したり、ダメになったりする場合があります。
これは、理性がなくなっているのです。

多くの人には、悪い習慣があります。
悪い習慣というのは、物事を大きく見すぎることです。

でっかすぎる目的を持つと、体が動かなくなってしまうのです。
でっかい目的に足を引っ張られないようにすることが大事です。

小さく分析するのです。
小さなコマに、小さく小さく切る。
ステップ・バイ・ステップ。
小さな項目で動くのです。
そうすれば、なんてこともなく、できます。
今目の前にある、小さなコマを、今ここでやる。

それには、小さく分ける分析能力が必要です。
小さなコマをしっかり学ぶことが、分析能力です。
この分析能力は、初期仏教の特徴で、初期仏教に特徴的な能力です。

毎日、何でも分解する。
小さく分けて分析する。
小さな項目で動く。

これを心がけてください。


さらに、愛語ということを心がけて生きてみてください。

愛語とは、聴いた人の気持を傷つけない言葉のことです。

また、愛語を心がけるにあたっては、しっかりと発音し、ゆっくり話して、生きてみてください。

しかし、時折、とてもゆっくり話している人を見ると、いらいらすることがありますね。
あれは、本当にきちんとゆっくり愛語で話しているわけではなく、その人が無駄話をしているからいらいらさせられるのです。
ゆっくり話しても、無駄話ではダメです。

何を言いたいか、また、そのための話の量を知り、はかってしゃべってください。
目的やそのために必要な量をはかってしゃべるのです。

一時間の話を、きちんと整理して、二分ぐらいに整理すれば、どれだけゆっくりと話してもいいでしょうし、ゆっくり話せます。

あと、いくらか貯金があった方がいいですね。
在家の方は。
というのは、明日どうなるかわからないからです。

むやみにケチになって貯金しようとするのもいけませんが、明日どうなるかわからないということから、合理的に考えて、貯金をしていってください。

人によっては、不安から際限なく貯金しようとしてしまう場合もありますね。
ただ、いくら貯金しても、不安は決してなくなりません。

不安ほどありがたいものはありません。

安心は、ありえません。
世界は不安なのです。
だから、心も当然不安です。
これはどうってことない事実です。

不安があるから、人はがんばるのです。
不安は、生きる衝動になっているのです。

ですので、貯金は理性に基づいて行い、布施を心がけて生きてみてください。

貯金するほど収入がないと悩む人は、まず先に自分からあげる人になることも良いかもしれません。
布施を行い、先に何かこの世界にあげる人は、法則によって自分も与えられるのです。

また、むやみに人を信頼することはやめる。
人を信頼することはほどほどにする。
自分のことですらよくわからず、信頼できないのが人間なのですから。
ましてや、他人をそんなにむやみに信頼できるはずがありません。

ポイントは、自分が信頼できる人間になる、信頼できる人間に自分を育てる、ということです。
これしかありません。

振り込め詐欺なども、振り込まないでください。
何のために、と尋ねて、尋ねて、しっかり調べてください。


(以上)


【スマナサーラ長老とのQ&A】


Q,(あつしの質問)

不安や焦りがあんまりひどくなると、冷静に立ち止まったり、小さなコマに分析したりできないで、頭が不安や焦りでいっぱいになってしまうことがあります。
こういう時は、どうすればいいのでしょうか?


A,(スマナサーラ長老の御答え)

不安には、そのつど適切に対処しないといけません。
そうしないと、どんどん次々と新しい不安がたまっていって、大きくなり、パニックになってしまう場合があります。

また、不安は海の水のようなもので、なくなりません。

ですので、そのつどそのつど、適切に、今ここに、目の前にあることに対処するしかありません。

今、ここに、人生というものは、誰でも制約されています。
ですから、本当はあまり選択の余地はないのです。

自分は人生どう生きようかとか、将来どうしようとか、あれこれ考える必要はありません。
今ここの、目の前にある階段を一歩登るだけに集中すればいいのです。

そうすれば、人生の階段を、一歩一歩登っていけます。

アレクサンダー大王も、ゲームをしながら隣の国が欲しいなぁとただ思っていただけであんなに大帝国ができたわけではなくて、そのつどそのつど、今目の前にあることに尽力していって、結果としてああなったのです。

「今、ここ」の二つのことばを心に入れて生きてください。

Q,(若い男性からの質問)

愛語ということをおっしゃられておりましたが、優しく言おうと心がけていても、相手が受けいれてくれなかったり、衝突したりすることがあります。
どうすればいいのでしょうか?


A,(長老の御答え)

相手の心に自分の言葉が届くまでは、自分の責任です。
わかりやすく、相手の心に届くように、工夫して言葉を話すことが大事です。

相手の人権を認め、愛語でわかりやすく話すことをしないで、相手が怒りだしたなら、相手が聞いてくれないことも、相手の怒りも含めて、自分の責任です。

しかし、相手の人権を認め、愛語でわかりやすく話しているのに、相手が怒り出したならば、それは自分の責任ではなく、相手の責任です。


Q,(男性の質問)

貪瞋痴の、貪と瞋はまだわかる気がするのですが、痴というのがよくわかりません。
痴とは、どう考えればいいのでしょうか?

A,(長老の御答え)

普通の人間の場合、痴は24時間あるので、たしかにわかりづらいんですね。
貪と瞋が起こっている時以外の妄想は、痴と考えて良いです。
痴は非生産的なものです。
貪や瞋は、何か生産する場合もあるんですね、動機は悪いですけれど。
その点、痴はまったく非生産的だし、かつ痴になればなるほど自覚しにくいという特色があります。
仏教を学び、瞑想を実践して、痴がうすまってくると、少しずつ痴が自覚できるようになってくる場合もあります。
ただ、はじめのうちはよくわからないので、仏教を学び、瞑想を実践してください。


【瞑想会】

瞑想指導の時間では、スマナサーラ長老はとてもわかりやすく丁寧に、時に厳しく、「実況中継」「ストップモーション」「スローモーション」「坐る瞑想」「立つ瞑想」「歩き瞑想」や、背筋の伸ばし方などを教えてくださいました。

特に、以下のことを最後に強調されていました。

瞑想の御利益は、瞑想をしないとあらわれません。
瞑想をせずに、瞑想の御利益だけ望んでもありえません。
自分自身が瞑想にがんばるしかありえません。
商品を買うと今はポイントがついてくることが多いですが、瞑想もポイント制と思ってください。
瞑想をするごとに、ポイントがたまる。
瞑想をしないと、ポイントはたまらない、と。
ポイント制と思って、一人一人瞑想してください。


(以上)

(文責・あつし)
posted by 管理人 at 15:21| Comment(0) | TrackBack(0) | スマナサーラ長老講演会